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ピアノ線映画
『少年探偵団』補足。
変装の名人が別人に変装するというシチュエーションを撮影する場合、三つのやり方がある。 1.変装後を別人が演じる 2.役者に高度な特殊メイクを施す 3.役者に通常のメイクを施す 3の場合、変装できる役柄は非常に限定され、しかもばれやすい。だが映画の設定上「変装の名人」である場合は、どれだけ稚拙なメイクだとしても変装がばれることはない。何故か。「変装の名人が化けている」からである。 『少年探偵団』での怪人二十面相は変装の名人という設定である。劇中、二十面相はさまざまな人間に変装するが、せいぜいヅラ、付け髭、ドーランを施した程度のメイクである。上記の3に相当する。映画を見ている側からすると変装はバレバレ。だかそれを目の当たりにした少年探偵団たちは変装を見破ってはいないようだ。つまり劇中の人間である少年探偵団たちにとっては、二十面相は完璧な変装術を持ったキャラクターなのである。だから映画を見ている我々も「何言ってんだ、変装バレバレじゃないか」などと言ってはならない。「二十面相は変装の名人だ」という前提で見るべき映画なのである。 このような映画の代表として、飛行機やUFOなどのミニチュアをピアノ線で吊って「飛んでいる」風に見せている特撮系の映画がまず挙げられる。うまくピアノ線が背景に溶け込んで目視できないものもあるが、中にはあからさまにピアノ線が映ってしまっていたりする。だが劇中の登場人物はそれをして「あれ、UFOがピアノ線で吊られているぞ」と認識することはない。通常は「UFOが飛行している」と認識する。つまり観客たる我々も「ピアノ線が見えてはいるけど、これは飛んでいるという設定の映画なんだな」という心構えで見なければならないのだ。このような映画を「ピアノ線映画」と呼称する。 「ピアノ線映画」の伝統は日本では人形浄瑠璃まで遡ることができる。人形浄瑠璃においては人形を後ろで操る人間がはっきり目視できるが、けっして「人間が人形をくねくね動かしているぞ」といった見方はしない。あくまで人形が生命を得て動いているのであって、その場合後ろの演者は視界から除外される。UFOを吊るピアノ線が視界から除外されたように。 「ピアノ線映画」は人の死が関わる物語にも多い。登場人物が殺された。目がカッと見開き微動だにしない。だがよく見ると胸の部分が微妙に上下しているようだ。ひょっとしてこの人間はまだ生きているのではないか?だが被害者を目の前にした刑事や探偵はどうやら死亡を確認したようだ。生きているようにしか見えないが、これは「死んでいる」という心構えで見るべき映画のようだ、といった具合である。 ドン・シーゲルの『殺人者たち』の冒頭でジョン・カサベテスがリー・マーヴィンに至近距離から狙撃される。しかしスローモーションのアップで狙撃場面をとらえているにも関わらず、弾丸によって身体に穴が開いているようには見えない。だが彼は「撃ち殺された」らしい。了解、観客たる我々も死んだと認識したことにしよう。西部劇やアクションものの銃殺、時代劇での斬殺でも上記と同様「ピアノ線映画」状態が頻繁に発生する。 では死人が出る映画はすべて「ピアノ線映画」なのか?否である。どうして?『ワイルドバンチ』では効果的な着弾によって身体に穴が開いたように見える。だがそれは所詮技術の勝利であって、本当は死んでないのだから「ピアノ線映画」じゃないのか?観客はそう主張するかもしれない。だが、それが偽の死であると誰が断定できるであろうか。 黒澤明『椿三十郎』のラストで仲代達也は三船敏郎に袈裟がけに切断され、血しぶきを上げて絶命する。だがこれを見て「ピアノ線映画」とするのは早急すぎる。何故なら、仲代達也はこの時点で本当に斬り殺されたのかもしれないからだ。しかし撮影中本当に殺したことが露見すれば三船敏郎は殺人罪だし、黒澤明も無罪ではいられない。いや映画自体も公開されないかもしれない。そんな自体を回避すべく「血しぶきは特殊効果で死んだのも演技」と公表し、そっくりさんを探し出して仲代達也生存をアピールする。無名塾塾長はじつは二代目仲代だったというわけだ。真相は彼の死後も明らかにされることはないであろう。
by tomezuka
| 2007-11-10 11:59
| 映画徒然草ノンジャンル
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